ことばの教育 (2005年)
読み・書き・そろばん
戦争や暴力や公害のない真に平和で誰もが大切にされ人の幸せと自分の幸せとが一体感となるような世界、それはどうしたら創り上げられるかを考えていく時、今よりもはるかに高い学力・教養・知性が求められます。
学力や人格が発達するためには学力の基礎としての読み書き計算の力が確かであるということが土台となります。それ抜きでは高い水準の学力や知性をわがものとすることはできません。
江戸時代には、村々では寺子屋ができ庶民の子どもは読み書き計算の初歩的な力をつけていきました。庄屋や地主など、農村地域の有力者や僧や在地武士などが、寺子屋の先生をしていました。その頃の子どもの多くは寺子屋へ通っていました。都市部でも同様で江戸では500人を超す大きな規模の寺子屋もあったそうです。幕末になると外国人が日本へたくさんやってきました。一様に驚いたことは、当時世界最大の100万都市大江戸には2000軒をも越す本屋があったということです。
世界からみた日本の学力
欧米から見れば、世界で、最後に発見された国は、日本だったのです。それまでに欧米諸国が見つけた国は、コロンブス以降のほぼ400年間、タイを除き、植民地もしくは準植民地国にしていきました。欧米に植民地化されなかった国は、日本以外にはほとんどなかったのです。この日本の独立を保障した最大の力は、日本人の文化水準の高さ、とりわけ読み書き計算の全国的普及と、他国に比べて高い水準の学力―世界一の学力の高さと厚みが、明治維新前後にもたらされた植民地化の危機を、未然に防ぐ最大最強の戦略的武器であると申せましょう。さらにそれは戦争の武器ではなく、人類間の平和を保障する最良の武器だと言いきってもいいでしょう。
世界のさまざまな動きや、自然や社会の変化していく様は、テレビや新聞を通じて報じられます。政治や経済、文化や教育の新しいニュースは日々伝えられています。映像や音声から伝えられるだけでなく、そのことの意味が解説されたり、いろんな考えや、選択するための資料や視点は、まとまった文章となって、新聞・雑誌・専門書、あるいは啓蒙書に掲載されます。正しく読み取るためには、読む力や計算力がいります。自分の考えを表すには書く力、そして、そのもととなる考える力が必要です。21世紀の世界からは、戦争や貧困や差別や隷属や暴力や飢餓や不和をなくす方向への営みを、多くの人々や国々が手を携えて進んでいくことが必要とされています。そのための知識や知恵を身につけるには、かなり高い水準の学力を必要とします。多くの民族や国民が、読み書き計算という学力の基礎を十分に獲得していくことは、日本の子ども、そして、世界の人々共通の人類的・世紀的課題といえましょう。
基本になる言葉の能力
日本の最大の資産であった学力の高さは消えつつあると憂えています。その高い学力を獲得する基本は「言葉の能力」です。どんな学問をし、どんな仕事に就いたとしても、その方面の古今東西の書物を読み、理解できることは不可欠です。
また人に自分の考えを伝え、相手とわかり合うためには、やはり言葉を使ったコミュニケーションが中心となります。
日本人にとっては母語となる日本語の能力を適切な時期に最も良い方法で身につくようにするのは幼児教育に携わる私共の役目と考えます。豊かな言葉は豊かな心を、美しい言葉は美しい心を育てます。このような視点から絵本の指導を毎日取り入れております。
どう育てるか
幼児期というのは人間の一生涯でいちばん記憶力にすぐれた時期ですから、大人のように努力しなくても一日に一字や二字の漢字なら、遊びの延長として楽しみながら楽々覚えてしまいます。更に重要なことは、漢字はひらがなと違って一字一字が明確な意味をもつ見る言葉だということです。ですから幼児にとって身近な言葉から漢字で示しながら教えてあげますとただ耳で言葉を聞く以上にしっかりと記憶に残り、語彙(ごい)として定着させることが出来ます。漢字という道具を用いた言葉の学習でもあるのです。
大人もそうですが楽しかったことや、感動を伴っていたことは決して忘れることはありません。興味に満ちた子どもたちに囲まれて保育者は楽しい雰囲気の中で絵本を読んでいきます。記憶は繰り返すことによりしっかりと定着します。
幼児は同じことを何度も何度もすることが大好きです。絵本や言葉のカードは繰り返し見て、声に出して読んでおります。教え込むような指導ではありません。
決して「漢字を教える」ことではありません。言葉の理解を深め、深い知識を身に付けるのに最も適している「漢字で教える」という方法で「言葉の能力」を高めていきたいと考えております。