メディア漬けから子ども達を守ろう (2003年)
次世代を担う子供たちが危ない
今は余り聞かなくなったが「子宝」と言う言葉がある。言うまでもなく、子どもという存在は親の子という"私"的側面と次世代を担う後継者という"社会的"側面の両方を併せ持っている。しかし、わが国は経済成長とともに核家族化が進展し、子育てという営みは限りなく指摘性格を帯びて来た。
ところが家庭に任された筈の子育ては幼児の段階から大変に手が掛かり、母親たちの負担は大きい。そこで、ついテレビやビデオなどの電子ベビーシッターに子守を依存しがちだ。子供が少し大きくなると子ども自ら操作して見て過ごす時間が益々多くなる。さらに子どもが小学生・中学生と成長するに従って、ゲーム機器、パソコン、携帯電話、マンが等々の多様なメディアに接する時間が増え、2001年のNHKと民放連の調査によると、小学5年生(女子)の場合、平日のテレビのみの視聴時間は、3時間以上が56%、4時間以上が30%、このほかにテレビゲームについては小学5年生(男子)の場合、平日2時間以上が37%、3時間以上が12%とのことである。これに大人が見ているテレビを一緒に見る時間の加わるのでメディアに接する時間は益々増える傾向になる。
外で遊ぶ時間がなくなってしまった
本来、子どもというのは仲間作って森に行ったり、広場へ行ったりして、友達と体と体をぶつっけあい、泥と汗にまみれて遊びながら、喧嘩をしたリ、悪戯をして大人たちに叱られたり、また、家庭に帰れば両親から手伝いを頼まれて、お遣いをしたりしながら人との係わり方を自然と体得していたと思う。そこで社会性つまり、コミュニケーション能力、判断能力、リーダーシップ力、忍耐力、他を思いやる心、奉仕の精神などが培われたと思う。
ところが、上記のごとくメディアの接触に殆どの時間をとられ、遊ぶ時間もなくなってしまうため、人との触れ合いや体を使った遊びが極端に減って大脳、特に前頭葉が発達しなくなってしまうので、前記したような能力も育たない。また、運動不足による体力の低下も甚だしくなる。
更に、メディアには過激なシーンなど、非日常的なものが多いのでそれに慣れてしまうため、「人間をバラバラにしてみたかった」などと言い出す異常な子どもが出てくる始末である。
その上、困ったことにこのようなメディア産業は子どもたちをターゲットに次々と新しい商品を
市場に投入してくるが、子供たちの心身の発達や健康への害についてどれだけ配慮しているのか疑問である。自動車、家電製品、食品、医療品などの安全問題となると政府もマスコミの大騒ぎするが、この分野に対しては何故問題提起をしないのか大いに疑問を感ずる。
メディアから子ども達を守ろう
アメリカ小児学会は次のように勧告している。「2才までの赤ちゃんはテレビなどの電子メディアから遠ざけること。学童期にも電子メディアとの接触を平日1時間、休日2時間に止めること。子供部屋にテレビ、パソコンなどの電子メディアを置かないこと」とされている。
更に教育の分野では、「テレビに振り回されずに子供たちが時間を自主管理できるように義務教育の中に位置づける」(リテラシー教育)と聞いている。
私どもは子ども達がメディアを自主管理して、家族との対話、友達との遊び、外での遊びなどに楽しさを味わえるように指導していくこと、そして次の世代を担う子ども達をまっとうな人間に育てることが社会全体の最優先課題ではないかと考える。
(参考資料: 清川輝基著「人間になれない子どもたち」((株)えい出版社発行)